母の弁当日記 大学生編

大学生の娘と弁当と日常の記録

4/12 白猫との思い出

2月8日 かわいがっていた白猫が死んだ。

 

白猫は12年前の秋ごろ、突如現れ、この近辺でよく見かけるようになった。真っ白なのでよく目立ち、呼べば高い声でニャーと泣いてすり寄ってくる。うちではすでにビビオという猫を飼っていて、ビビオの食べ残したエサをあげると、白猫はおいしそうによく食べた。

当時もう一匹意地の悪い、いかにも野良という屈強な猫がうろついており、ひょろひょろな白猫はそいつによく追っかけられたりいじめられたりしていた。それはもう、執拗に。たいてい縄張り争いに負けた猫はその地域からはいなくなるものだけど、白猫は追いかけられながらも、この辺りに住み着いて離れなかった。

秋も深まる頃、次第にやせ細っていく白猫を見るに見かねた私は、本格的に寒くなる前に我が家で飼うことを独断で決めた。

動物病院に連れていき、感染症などの検査をしてもらったところ、猫エイズなど特に異常はなかった。年齢は歯から推定して3歳くらい。雄だったので、ついでに去勢手術の予約を入れようとしたら「この猫ちゃんはもう手術してありますね」と言われとても驚いた。人懐っこいところからすると飼い猫だったのだろうか。捨てられたのか、迷子になったのか。誰か探している人がいるんじゃないか。急いでネットの探し猫掲示板や近隣の動物病院の張り紙を見て回ったけれど、白猫を探している人を見つけることはできなかった。

飼い始めてしばらくすると、我が家を出入りする白猫を見た近所の老夫婦Aさんのご主人から

「おたくで飼ってるんですか?」と声をかけられた。「ウチで引き取ろうか迷ってたんですけど、家内がアレルギーがあって。よかった、ありがとうございます」とお礼を言われた。そういえば奥さんは夏でも冬でも1年中マスクとサングラスと深めの帽子という出で立ちだった。

白猫はAさん夫婦にとても可愛がられていて、ウチが飼うことになってからもよく遊びに行ってるみたいだった。

白猫は白いというだけでそれはもうかわいかった。白猫を飼っているというだけで、人生のテンションが上がる。毎日つまらないな、って人は、白猫飼えばいいと思う。

  ある日のこと、外から帰ってきた白猫の手がプラ~ンとしていた。素人目に見ても、骨折だった。医者から最新の手術をすると50万円ですと言われたが、お金のかからないギブス固定のみで3か月安静にするという方法を選んだ。

 

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ギブスの跡が傷になってしまい、エリザベスカラーをつけられる。

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3か月してやっとこさギブスもカラーもが取れたまさにその日のこと。白猫はあまりの嬉しさに家中を走り回り、ちょっと目を離した隙に階段から転げ落ち、再度プラ~ンとなってしまう..という伝説を作ったのだった。

 

白いので飼う前から呼び名は「シロ」。それがだんだん「チロ」になり、最終的に「チロピン」になった。外に行くのが大好きで、土の上をゴロゴロ寝っ転がって、真っ黒になってきたこともよくあった。そういう時は呼び名が「クロピン」になった。

 

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よく、私の脚をよじ登ってきた。

 

月日は流れ、白猫も15歳になった。昨年動物病院で「この年齢でこの筋肉はすばらしいですね」「筋肉、すごいなあ~」とやけに筋肉をほめられていたのだが、このところ階段の上り下りがゆっくりになっていたり、体力の衰えは感じていた。

 

今年の正月に足をひきずりながら帰ってきて、「また骨折か?」と様子を見ていたのだけど、普通に歩くときもあるし、古傷が痛んでるのかもくらいに思っていた。ところが、次第にこたつから出てこなくなり、食欲もみるみる落ちていった。

トイレに行くのもやっとで、1Fにあったトイレは2Fに移動し、どんどん寝る場所に近づけたものの、ついにトイレの前で力尽きて粗相をするようになった。まさかあの猫が・・・である。人間ならば「あんなにしっかりしてたおとうさんが、まさかの失禁・・・」と妻がショックを受けるパターン。だけどいちばんショックなのは当の本人なのである。

猫様の尊厳を守りつつ、ペット用シーツが埋められていく家の床。しかしそんな日は長くは続かず、すぐに歩くことすらできなくなりおむつ生活になった。

 

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強制給餌&補水。誤嚥するからやめたほうがいいと言われたので、口を湿らす程度に。

 

病院ではもう年なので、検査や治療はせず、補水だけしていくということで意見が一致。家での輸液が始まる。

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回復の見込みのない猫に、強制給餌や輸液をすることは自然の流れに逆らうこととは思いながらも、もしかしたら回復するかもしれないという少しの望みは捨てられず、毎日輸液をするかしないか葛藤していた。死にかけている猫を病院に連れて行って、「どうすればいいかわかんなくなりました」と泣きながら相談したら、輸液は続けたほうがいいと言われた。診察が終わって、キャリーバッグの中でひっくり返ったままの白猫が、かすかな声で「ニャー」と1回だけ鳴いた。もう病院に行くのはやめようと思った。

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 ひっくり返ったままの白猫。

 

またたびや大好きな草を近づけても反応がなく、どうすることもできない私は毎日バカみたいに、アマゾンミュージックの「鳥の鳴き声」を聴かせていた。

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自分の精神安定のためでもあったかもしれない。

 

2/8の昼、ついに白猫は力尽きた。その瞬間に至るまでは決して穏やかとは言えなかったが、最後の最後まで命を全うした白猫はちょっとかっこよかった。私の仕事がちょうど3連休で、1日目は1日中看病でき、2日目に看取り、3日目に見送りというパーフェクトな、飼い主孝行な最期だった。私もやることはすべてやりきって、悔いはない。 

 

白猫はなつっこいので、先述のAさんち以外にもいろんな家で可愛がられていた。首輪をつけて帰ってきてぎょっとしたこともある。たまにだけど帰ってこない日もあった。いったい誰のことを本当の飼い主と思っているのかしらなんて思っていたのだけど、死に場所を我が家に選んでくれたことで、なんだか救われた気がする。死ぬまでの1か月、辛そうな姿を見るのはとてもつらかったけど、いつも家にいなかった白猫が最後にこんなにたくさん一緒にいる時間をくれたことは、彼なりの恩返しだったのかもしれない。

 

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 Aさん夫婦には白猫が亡くなったことを伝えた。後日、マスクに帽子の奥さんが、泣きそうな顔で猫の形のチョコレートを持ってきてくれた。

 

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