母の弁当日記 大学生編

大学生の娘と弁当と日常の記録

3/7 果報は寝て待った

「月が出た出た 月が出た」でおなじみの炭坑節(盆踊り)、この踊りの覚え方をご存知だろうか。

「掘って 掘って また掘って 担いで 担いで 後戻り」

 

私立が立て続けに撃沈してから、私の頭ではこのフレーズが「落ちて 落ちて また落ちて 担いで 担いで 後戻り〜〜〜」といった替え歌となって、頭の中でリフレインしていた。しかもそれは、なぜか私が勤める老人ホームのフミさん(仮名)の歌声で再生されていた。フミさんはいつも「寝っ転がって 寝っ転がって ダ〜メで〜したあ〜」といったマイナス発言を、振り絞るような声で、リズミカルに一日中言っている人で、私の頭の中でかかるフミさんの「落ちて 落ちて〜」は声といいリズムといい、妙にしっくりくるのだった。

 

2月後半にいよいよ本命の受験があった。発表までの約1週間はおそろしく長く、親子で〈蛇の生殺しweek〉と言っていた。

娘はとにかくやることがなかった。遊ぶことも、後期に向けての勉強も一切やる気になれず、ただただ家でスマホ片手にゴロゴロしてるだけだった。大学受験をキッカケにニートになる、という絵面が想像できてゾッとした。

私も今後の予定が立たずにモヤモヤしていた。受かれば学費が半分以上浮く。受からなければ浮かない。浮く、浮かない、浮く、浮かない…。受かったら、受からなかったら、とそれぞれの場合を考えてみるが、どっちにしろ結果が出なければ現実的なことは決められないのだ。

ギリギリまで進路が決まらないと、いろいろなところで歪みが出てくる。仕事中にちょっとイライラすれば「まだ子どもが大学決まらないらしいわよ…」と陰でヒソヒソされ、ストレスからの過食で、来週の卒業式に着る予定のスーツは腹回りがピッチピチだ。行くのやめようかな・・・

  

受験後半の弁当

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バレンタイン?なにそれおいしいの?

 

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あと10日

 

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羽生君サイコーでした!

 

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やっぱり勝負の前は、とんかつを作ってしまう。

 

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前期試験終わり、だらけた日々が始まる。

 

2/28

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朝も10時ごろまで寝ているようだし、とにかくゴロゴロしかしてない。

 

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あまりにゴロゴロしてるので、少しは家事を手伝いなさいとブチ切れる。

 

 

 

3/6

合格発表は娘に一人で見に行かせた。なんとなく、親が一緒に行くのは恥ずかしい気がしたから。受かると胴上げをしてくれるようだったから、すごく見たかったのだけど。

デパ地下で菓子折りを物色している時、娘から大量にLINEが送られてきていた。

 

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最初はちょっとホントに番号合ってるの?後期の受験番号とか見てない?ちゃんと見た?と疑ったけど、どうやらどうやら確かに合ってるみたいで…

 

やっと終わったー !\(^o^)/ヤッター

 

そう、受かったーというより、終わったことの安堵感のほうが大きかったかも。

思い返せば、よくまあ受かったな、という。5 月まで部活漬けでちゃんとした勉強はほとんどせず、塾には行か(せられ)なかったから情報は学校とネットだけ。理系志望なのに数学苦手で、結局最後まで模試で良い結果が出たことはなかった。今やってること、進めていることが正しいのかどうかもわからないまま、暗がりを手探りで歩く感じがいちばん辛かったと思う。センター後に、私の提案で第一志望を変えた時も、本当にこれでいいのか?という不安がつきまとっていた。合格したから、あれで良かったんだと思えるけれど。

今は、本人はもちろん、周りでサポートしてくれた人(私含め)たちの努力が報われたことがとても嬉しい。

 

 それにしても、コミュ障でウェイウェイ大嫌い頭ボサボサ娘が、大学生活をどう過ごすのかが見ものだ。もういっそ、このままブレないでほしい気も・・・。

 

※ちなみに、このブログは娘が大学生になっても、ちまちま続ける予定です。